HISTORY愛知教育大学150年のあゆみ

愛知教育大学の嚆矢は、1873(明治6)年に創設された愛知県養成学校まで遡ることができる。
それから150年という長い星霜を積み重ね、今日にいたっている。

その後、名称変更を重ねながら組織等を拡大・発展させ、1944(昭和19)年には三つの師範学校(官立愛知第一師範学校=名古屋、官立愛知第二師範学校=岡崎、官立愛知青年師範学校=安城)へと集約され、戦後の愛知学芸大学の母体となった。

1949(昭和24)年5月31日に愛知学芸大学学芸学部が発足した。愛知学芸大学には、旧師範学校が設置されていた場所に分校(名古屋分校、豊川分校のちに岡崎分校、安城分校のちに廃止)が設置され、のちに大学本部が新設された。この大学本部と後期課程をどこに設置すべきかという問題(いわゆる「学大問題」)や、1966(昭和41)年の愛知教育大学教育学部への名称変更等を乗り越え、1970(昭和45)年に刈谷市井ケ谷地区への統合移転を果たした。

刈谷市へ統合移転後も、養護教諭養成課程や特別教科教員養成課程等の設置、大学院(教育学研究科)の設置、総合科学課程の設置等、2004(平成16)年には国立大学法人化への対応等、教員養成系大学を取り巻く厳しい荒波に翻弄されながらも、必死に対応し教員養成教育の充実に尽力した姿が浮かびあがってくる。


第一師範学校の流れ
愛知県養成学校の創設 / 愛知県師範学校と改称 / 愛知県尋常師範学校と改称 / 愛知県師範学校と改称 / 愛知県第一師範学校の設置 / 愛知県女子師範学校の設置 / 官立愛知第一師範学校に移管

1873(明治6)年愛知県養成学校の創設

1872(明治5)年「学制」頒布により、全国に近代的な小学校が設置されることになった。愛知県では1873(明治6)年に小学校の設置に着手するとともに、この新しい小学校に大量に必要となる「教員」を養成すべく、同年12月に「愛知県養成学校」(名古屋久屋町1丁目)が、1874(明治7)年には岡崎の旧額田県庁跡に「養成学校別校」が設置された。 クリックして拡大

1876(明治9)年愛知県師範学校と改称

1876(明治9)年、愛知県養成学校は「愛知県師範学校」と改称され、翌年には官立師範学校跡地の名古屋本町1丁目に移転した。愛知県師範学校では初めて校長が置かれることとなり、初代校長に境野熊蔵が就任した。愛知県師範学校には、予科(修業年限1年、定員70名)と本科(修業年限2年、定員200名)が設置された。 クリックして拡大

1886(明治19)年愛知県尋常師範学校と改称

1885(明治18)年、初代文部大臣に森有礼が就任し、翌年には「師範学校令」において「師範学校ハ教員トナルヘキモノヲ養成スル所トス 但生徒ヲシテ順良信愛威重ノ気質ヲ備ヘシムルコトニ注目スヘキモノトス」(第1条)と制定された。1886(明治19)年8月28日、愛知県師範学校は「愛知県尋常師範学校」と改称され、修業年限は4年、定員は200名となった。 クリックして拡大

1898(明治31)年愛知県師範学校と改称

1897(明治30)年に新たに「師範教育令」が制定され、これにより尋常師範学校は単に師範学校と改称されることになったため、愛知県尋常師範学校は「愛知県師範学校」と改称された。

1899(明治32)年愛知県第一師範学校の設置

1899(明治32)年、「愛知県第一師範学校」が設置された。

1907(明治40)年には「師範学校規程」が制定され、本科第一部(修業年限4年)、本科第二部(修業年限1年または2年)、予備科が設置された。

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1912(明治45)年愛知県女子師範学校の設置

1912(明治45)年、愛知県第二師範学校に設置されていた女子部を分離し、「愛知県女子師範学校」が西春日井郡に設置された。1915(大正4)年には愛知県立第二高等女学校が併設され、正門には二つの校名が掲げられるようになり、校舎や運動場などの学校施設だけでなく、さまざまな教育活動や学校行事等を共有して過ごした。 クリックして拡大

1943(昭和18)年官立愛知第一師範学校に移管

1943(昭和18)年に「師範教育令」が改正され、従来道府県立だった師範学校は官立に移管されることになった。同年4月1日、愛知県第一師範学校と愛知県女子師範学校が統合し、官立に移管され、「官立愛知第一師範学校」となった。

第二師範学校の流れ
愛知県第二師範学校の設置 / 愛知県岡崎師範学校と改称 / 官立愛知第二師範学校に移管

1899(明治32)年愛知県第二師範学校の設置

1899(明治32)年、額田郡岡崎町に「愛知県第二師範学校」が設置され、初代校長に太田政徳が就任した。愛知県第二師範学校には本科、簡易科、小学校教員講習科(甲種講習科、乙種講習科、のちに特別講習科が追加等)、女子部が設置された。 クリックして拡大

1923(大正12)年愛知県岡崎師範学校と改称

1923(大正12)年に「愛知県師範学校学則」が改正され、愛知県第二師範学校は「愛知県岡崎師範学校」と改称された。翌年10月には創立25周年記念式典が挙行された。 クリックして拡大

1943(昭和18)年官立愛知第二師範学校に移管

1943(昭和18)年に「師範教育令」が改正され、従来道府県立だった師範学校は官立に移管されることになった。同年4月1日、愛知県第二師範学校は官立に移管され、「官立愛知第二師範学校」となった。 クリックして拡大
青年師範学校の流れ
愛知県農業補習学校教員養成所の設置 / 愛知県実業教員養成所と改称 / 愛知県立青年学校教員養成所と改称 / 官立愛知青年師範学校に移管

1918(大正7)年愛知県農業補習学校教員養成所の設置

明治後期、勤労青少年の教育機関であった実業補習学校が急速に普及し、その教員を養成するため、1918(大正7)年に「愛知県農業補習学校教員養成所規程」が制定され、愛知県立農林学校内(安城)に「愛知県農業補習学校教員養成所」が設置された。 クリックして拡大

1921(大正10)年愛知県実業教員養成所と改称

1921(大正10)年、愛知県農業補習学校教員養成所は「愛知県実業教員養成所」と改称され、所長に大森謹平が就任した。修業年限は1年(翌年から2年に延長)で、「農業補習学校教員タル者ニ須要ナル智識技能」を学び、とくに「農業」の理論と教授法の修得に重点が置かれた。 クリックして拡大

1935(昭和10)年愛知県立青年学校教員養成所と改称

1935(昭和10)年、愛知県実業教員養成所は「愛知県立青年学校教員養成所」と改称されるとともに、1年課程の臨時養成科(昭和13年〜昭和15年)や、女子部(昭和17年)が設置された。戦時中は海軍生活の訓練や刈谷のトヨタ工場等での勤労奉仕に動員されたという。 クリックして拡大

1944(昭和19)年官立愛知青年師範学校に移管

1943(昭和18)年に「青年学校教員養成所規程」が改正、翌年には「師範教育令」が改正され、新たに青年師範学校が設置されることになった。愛知県立青年学校教員養成所も、1944(昭和19)年4月に官立に移管され、「官立愛知青年師範学校」となった。 クリックして拡大
愛知学芸大学
愛知学芸大学の発足 / 名古屋分校の設置 / 豊川分校の設置 / 安城分校の設置 / 豊川分校から岡崎分校へ / 安城分校の廃止

1949(昭和24)年愛知学芸大学の発足

1949(昭和24)年5月31日、「愛知学芸大学学芸学部」が発足した。愛知学芸大学には、旧師範学校の校地に分校(名古屋分校、豊川分校、安城分校)が設置された。このほかに「大学本部」が新設された。 クリックして拡大

1949(昭和24)年名古屋分校の設置

1949(昭和24)年に愛知学芸大学が発足し、戦前の愛知第一師範学校は愛知学芸大学名古屋分校となった。名古屋分校には、前期2年課程が設置され、設置時の定員は720名だった。 クリックして拡大

1949(昭和24)年豊川分校の設置

1949(昭和24)年に愛知学芸大学が発足し、戦前の愛知第二師範学校は愛知学芸大学豊川分校となった。豊川分校には、前期2年課程が設置され、設置時の定員は540名だった。 クリックして拡大

1949(昭和24)年安城分校の設置

1949(昭和24)年に愛知学芸大学が発足し、戦前の愛知青年師範学校は愛知学芸大学安城分校となった。安城分校には、前期2年課程が設置され、設置時の定員は240名だった。

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1950(昭和25)年豊川分校から岡崎分校へ

1950(昭和25)年4月、愛知学芸大学豊川分校は同岡崎分校と改称された。このほか、大学本部と後期2年課程が岡崎市明大寺地区に設置され、新しい校舎等が建設された。

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1952(昭和27)年安城分校の廃止

1952(昭和27)年3月、大学本部への統合により安城分校が廃止された。

愛知教育大学
愛知教育大学に名称変更 / 刈谷市井ケ谷地区への統合移転 / 大学院教育学研究科の設置 / 総合科学課程の設置 / 教員養成課程の再編 / 国立大学法人愛知教育大学の発足

1966(昭和41)年愛知教育大学に名称変更

1965(昭和40)年、東北大学教育学部から教員養成課程が分離独立し、宮城教育大学が発足した。翌1966(昭和41)年には「国立学校設置法の一部を改正する法律」および「国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令」により、同年4月1日、愛知学芸大学学芸学部は「愛知教育大学教育学部」へと名称が変更された。 クリックして拡大

1970(昭和45)年刈谷市井ケ谷地区への統合移転

統合移転先として、長久手、大高、大府、猿投、三好、豊田、刈谷等が候補にあがったが、最終的には1966(昭和41)年7月14日に開催された臨時教授会において、「本学の統合の適地は……刈谷市井ケ谷地区を第一候補とする結論に到達」した。

1971(昭和46)年3月16日、関係者約400名を招待し統合記念式典が挙行された。

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1978(昭和53)年大学院教育学研究科の設置

刈谷市へ統合移転後は、幼稚園教員養成課程、特別教科教員養成課程(理科、数学、書道)、肢体不自由児教育教員養成課程、情緒障害教育教員養成課程、特殊教育特別専攻科など、多様な教員養成課程等を一体的に保持し東海地区における教員養成センターとしての機能強化が進められた。

このほか、教育専攻科(教育専攻、数学専攻、理科専攻)が設置されていたが、1978(昭和53)年に大学院教育学研究科修士課程設置にともない、順次廃止された。

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1987(昭和62)年総合科学課程の設置

将来の教員需給変動を見通し学校教員以外の分野で活躍できる人材養成を目指し、小学校教員養成課程から学生定員395名を移動し、1987(昭和62)年に総合科学課程が設置され、翌年には6コース(13選修)が整備された。 クリックして拡大

2000(平成12)年教員養成課程の再編

2000(平成12)年、教員養成課程の入学定員を640名から480名に削減するとともに、初等教育教員養成課程、中等教育教員養成課程、障害児教育教員養成課程、養護教諭養成課程の4課程に再編した。あわせて、総合科学課程を学芸4課程(国際理解教育課程、生涯教育課程、情報教育課程、環境教育課程)に改組した。文部科学省が「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」を発足させたのは同年8月だった。 クリックして拡大

2004(平成16)年国立大学法人愛知教育大学の発足

2004(平成16)年、国立大学法人法施行に伴い、「国立大学法人愛知教育大学」が発足した。 クリックして拡大

 

附属学校園のあゆみ
附属幼稚園 / 附属名古屋小学校 / 附属岡崎小学校 / 附属名古屋中学校 / 附属岡崎中学校 / 附属高等学校 / 附属特別支援学校

 附属幼稚園

1925(大正14)年、愛知県女子師範学校附属幼稚園が創設された。戦時中は一時閉園されたが、1946(昭和21)年に官立愛知第一師範学校女子部附属幼稚園として再開された。

1949(昭和24)年に愛知学芸大学附属幼稚園と改称、1953(昭和28)年には現在地に新園舎が完成した。その後、愛知学芸大学附属幼稚園、愛知教育大学附属幼稚園と改称した。

一人ひとりを大切にする保育環境のなかで、自然や社会とかかわりながら生きていくための基礎的な力を育み、人格形成の基礎を培う幼児教育を追究し、保育者を目指す学生たちへの指導をはじめ、公開保育や大学との共同研究、地域の研修会等を実施している。

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 附属名古屋小学校

1875(明治8)年、愛知県養成学校附属小学校が創設された。大正期から昭和初期にかけて、郷土教育に関する教育・研究が盛んに行われ、その教育実践や研究活動は全国的に注目された。1923(大正12)年には愛知県女子師範学校附属小学校が設置された。

1953(昭和28)年、これらの小学校を合併し、愛知学芸大学附属名古屋小学校と改称した。1961(昭和36)年に校歌「ぼくもわたしも」を制定、1974(昭和49)年には開学百年祭を挙行した。隣接する附属幼稚園・附属名古屋中学校と連携した教育活動や、大学教員との共同研究等、先進的な教育・研究活動を推進している。

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 附属岡崎小学校

1901(明治34)年、愛知県第二師範学校附属小学校が創設された。1923(大正12)年には愛知県岡崎師範学校附属小学校と改称、翌年には文集『ひばり』を創刊した。

1951(昭和26)年に愛知学芸大学附属岡崎小学校、1966(昭和41)年に愛知教育大学附属岡崎小学校と改称した。2001(平成13)年には創立100周年記念式典を挙行した。

1948(昭和23)年に第1回生活教育研究協議会を開催し、子どもが主役の学校、子どもたちの生き生きとした姿、仲間とかかわり合う生活をとおして自らの学びを深めていく姿を追究している。

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 附属名古屋中学校

1947(昭和22)年、愛知第一師範学校男子部附属中学校(名古屋市東区)と同女子部附属中学校(春日井市)が創設された。翌年4月に、これらの学校を合併し、愛知第一師範学校附属中学校と改称した。

1951(昭和26)年に愛知学芸大学附属名古屋中学校、1966(昭和41)年には愛知教育大学附属名古屋中学校と改称した。1950(昭和25)年に第1回教育研究発表会を開催し、1953(昭和28)年には研究紀要『教育実践』第1集を発行した。「行事を核にした教育活動」に重点的に取り組んでおり、集団とのかかわりをとおして、生徒各自が個性を発揮しながらお互いの価値観を理解・共有し合うことを目指している。

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 附属岡崎中学校

1947(昭和22)年、愛知第二師範学校附属岡崎中学校が創設された。1949(昭和24)年に愛知学芸大学附属岡崎中学校と改称、1953(昭和28)年には附属安城中学校を統合した。1966(昭和41)年に愛知教育大学附属岡崎中学校と改称され、現在にいたる。

1949(昭和24)年に第1回生活教育研究協議会が開催され、『生活教育研究』第1集が刊行。主体的な学びを引き出す問題解決的学習過程において独自性を発揮しながら追究し、他者とともに新たな価値を生み出す子どもの育成を目指した授業に取り組んでいる。

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 附属高等学校

1973(昭和48)年、愛知教育大学附属高等学校が創設された。創設当初は、愛知教育大学の建物の一部を借りて授業が開始された。1975(昭和50)年には「すべて借り物の生活の中で、何か我々自身のより所になるもの、それを我々の手で創りあげようと考え」附高体操が創作され、翌年には「学校づくりの新しいあり方を探る」をメインテーマに第1回高等教育シンポジウムが開催された。
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 附属特別支援学校

1960年代、愛知学芸大学附属岡崎小学校と同附属岡崎中学校に特殊学級が設置された。これらの学級における教育・研究活動を引き継ぎ、1967(昭和42)年に愛知教育大学附属養護学校が開校した。同年には父母教師会が結成、第1回特殊教育研究協議会を開催し『研究紀要』第1集が刊行された。

1972(昭和47)年には学校文集『くすの木』が創刊、1978(昭和53)年には「しあわせの門碑」が完成、1980(昭和55)年には附養文化祭が開催された。

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